昨夜知りました。
FOXSPORTSのFACEBOOKに在りし日の写真と英語だけで書かれた記事。
死去を意味する単語が目に入り『えっ?』って。
翻訳出来る程の英語力もなく、YAHOO検索すると【死去】の記事が・・・
最近?ゆーか、ここ10年くらいはゼンゼン見てませんが、ワタシの人生のウチには何度かプロレスがアツい時代をありまして・・・
25年程度前ですかね?現WWEが物凄く華々しかった時代。
ニッポンではなじみのあったハルク・ホーガンを筆頭にアンドレ・ザ・ジャイアントや、ニッポンでは地味な外国人やったと薄っすら記憶するテッド・デビアスが『ミリオンダラーマン』ってギミックで活躍し、多分ニッポンにはなじみのなかった『マッチョマン』ランディーサベージって人もいたな?
ソノ中でもワタシが【未知の選手】として惹かれたのが、
『超合金戦士』ジ・アルティメット・ウォリアー
でした。
当時の情報ってのは、今みたくWebもない衛星放送もない時代。
情報収集は大スポ(東スポ)とプロレス雑誌のみ。
それとゲーセンにもWWEスーパースターとかいうゲームがあって、それでも常にウォリアーとホーガンのコンビで遊んでたな?
記事にて(遠い記憶なので誤認あるかもですが)
『アンドレ・ザ・ジャイアントを20秒間で2度フォール』とか
『ホーガン粉砕』などという刺激的な見出し。
ニッポンでほぼ無敵を誇ったホーガンやアンドレから勝利する未知の外国人に物凄い興味がありました。
それと更に興味を惹き付けたのはその容姿。
筋肉ムキムキのボディーにフェイスペインティング。
当時の日本のプロレスって黒パンツにシューズっていう『定番スタイル』しかほぼない時代だったので、そのギャップも衝撃的でしたね。
ニッポンでのファイトですが、1回こっきりだったのかな?
東京ドームで行われた【日米レスリングサミット】でのカード。
相手はダレだったかな?忘れました・・・
テーマ曲流れたら、花道を一気に走りぬけヘッドスライディングでリングインし、ロープワークを繰り返し、止まったら今度はトップロープ掴んでブルブル震わすゴリラポーズ&腕を何度を突き上げアピール。
そんなこんなしてるウチに相手の奇襲でゴング。
最初は劣勢を強いられるも、パワー殺法で切り返し。
相手をロープに飛ばしてのフライングショルダーを交され自爆しまた劣勢。
相手の攻撃を耐え抜き、お決まりの復活&パワー殺法で反撃し、ダウン寸前までぶちのめし、最後は相手をうつ伏せにしボディープレスで3カウント!!!
試合の流れはレスリング一切ナシでとにかく力任せに攻めるだけ。
一方的に耐え凌ぐだけっていう単純なスタイルでしたが、ワタシにとってはその【シンプルさ】が物凄く衝撃的だったかな?
勝利後にコーナーポストに登ってのポーズもカッコ良かったなぁー。
リアルに試合観戦したのはコノ1試合のみでしたが、【カッコイー】
ただそれだけでしたね。
その直後、いきなりのWWE退団。
アトで知り得た情報では・・・ケッコー金銭面でモメること多かったみたいですね。
後にWCWで瞬間的に復活しましたね。
この時期にはスカパーもあり、WCWはチェック出来るよーになった時代。
ホーガン率いる【nWO】(なっつかしー)に立ち向かうスティングの助っ人的な扱いで復活したんやなかったかな?
でも、コン時のウォリアーはまともに試合してなかったですよね?
ガウン着たまま試合するもすぐにNWO軍の乱入でグダグダなまま試合終了・・・
街中のケンカにも及ばない『新喜劇』な試合ばっかりにガッカリしましたね。
案の定、かつての輝きの微塵もなく、なんかのビックイベントでホーガンと一騎打ち?やったかな?試合中にリングにドライアイスの霧が立ち込め、その霧が消えたらおらんなってそれでオシマイ。
『ペイパービュー代返せ!!!』でしたよね?
今みたく世界の情報がカンタンに取れない時代やったからこそ、少しの記事や写真で色んな想像を膨らましていた時代。
その時代にワタシの中で勝手に色々想像し光り輝いていた
『超合金戦士』 ジ・アルティメット・ウォリアー!!!
安らかに 合掌
※当時の団体名の末の文字がFでしたが、どこの記事を読んでも当時の【F】を使用した記事がありませんでしたので、本文もそれにならい『E』と表記させて頂きました。