大阪からマリーンズを応援し、地元でセレッソを応援するおっさんのブログ

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《少年サッカー》あれは体罰やなく、暴行事件

昨日ニュースで見た、富山の小学生サッカー監督の生徒に対する体罰事件。

遠めからの映像では、そうなったいきさつは分かりませんが体罰を遥かに通り越した暴行行為であり、未だこの様な事態がどこかで発生していることが物凄く残念でなりません。

監督の言い分としては、試合前の悪ふざけが過ぎるのでやってしまったらしいですが、経緯は理解出来たとしても、なぜあんなコトまでしないといけないのか?

親呼び出して帰らせば済むハナシじゃないのかな?

この監督さんは年齢はそこそこいかれてますが、【監督】って立場にあぐらをかいた『お子ちゃま』やったんじゃないでしょうかね?

体育系クラブの中では未だ残る『体罰』という名の【暴行事件】

この監督さんの年齢から推測する上では、恐らくですがこの監督さんも子供の頃には、その様な指導・教育を受けていたんじゃないかと推測します。

このブログの右側(PC閲覧にて)あるワタシのプロフィール中にあるスポーツ経験の中で、この様な【体罰】を受けながら指導受けたのは、小学生時代の水泳のクラブチームと、高校時代のバレーボール。

高校バレーは1年だけやったし自分的にもそないにキツい体罰受けてないなぁ~と感じています。

ゆーのも、小学校時代の水泳クラブの方が遥かに【体罰】としては相当なモノを受けていた経験も期間も長かったです。

クラブ自身が常時全国大会に選手を10数人単位で輩出するクラブであり、ワタシも全国大会目指しており、ワタシは全国大会には届きませんでしたが、そんなクラブやったから『その程度はしゃーないか』って最近まで考えていました。

実際、親が見てよが見てまいが、お構いナシに【体罰】受けてましたし、それを親が見ていても【当然】って感覚でしたから。

あくまでも30年ほど前の当時わ。

勿論、その当時は練習もキツくて、【タイム伸びない】【気合が足りない】【弱音吐いた】たんびにプールから上げられ、コースロープの金具のカバー(樹脂性)で『根性棒』とかゆーて、コーチにおもっきり尻叩かれてましたね。(野球でいう尻バットの要領と同じ)

ここ数年、記事や報道となる学生体育教育現場での体罰事件を見ていても『その程度・・・』とか考える案件も確かにありましたが、ワタシ自身の考えを【改めなアカン】と感じたのは、尾木ママ先生の一言。『ダメなことはダメ。理由やなくダメなんです』って一言。

そーなんですよね、こーゆーことって【理由・理屈】やないんです。

アカンことはアカンのです。一部では『愛のある体罰』なんていうことも聞きますが、『愛がある』ってどーゆーコトなんやろ?

これも理由なんて曖昧で、自分のやったことに対しての『屁理屈』でしかないんですよね。

この【体罰】が依然横行する現実ってなんなんやろ?

ワタシなりに導き出した答えなんですが、これって【戦中・戦後教育の名残】なんやないかと。

今の指導者って結局は、そーゆー時代を生きた指導者の孫・ひ孫世代やと思うんですよね?

ワタシの子供の時代って、そない体罰に対して『アカン』みたいな風潮は非常に薄かったんやないかな?と。

本格的に世論として【ゼッタイアカン。許されヘン】って風潮になったのは、ここ10年~15年やないかな?

体罰を許容されてた時代を過ごした人の人口の方が今はまだ多いと思いますが、今の時代に【体罰】はゼッタイにあったらアカンのです。

ただこれをいきなり切り替えるのも非常に難しいことではあります。

ちょっと前に読んだ記事では、高校生くらいになると、体罰されないのをいいことに『殴れるもんなら殴ってみーや』と大人を挑発する子も教育現場では現れており、子供側の教育も必須となることやと考えます。

時代発想の転換期であるが故に、非常に難しい問題。

まずは大人が『やってはいけないこと』を子供にしない。みせないこと。

そんで子供の教育現場では、いかに目上・同年代・年少者を敬うことを教育するか?

子供3人もつ親としても真剣に考え、取り組まないといけないと考えております。

また子供に何等の体育教育を指導する現場の指導者は、今回の事案はサッカーでしたが、協会や学校が出す(と思われる)マニュアルを四角四面に鵜呑みにしたり、『書いてあるから』的な己の分析・考察もないまま書いてあることだけを遵守するんやなく、考えを持った中で体罰(コトバの暴力も含む)を撲滅していけたらいいですね。