大阪からマリーンズを応援し、地元でセレッソを応援するおっさんのブログ

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《スポーツ指導》なぜ同じことが繰り返されるのか?

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なぜ同じコトが繰り返されるのか?

ホント判らない。

この炎天下で距離にして18kmのランニングなんて指示して、

そこをゴールと設定して取り組んだらどうなるか?ってことを。

『大人なら判るよね?』って。

そこが今の世の中を眺めて感じるのが、

解決の糸口と結果を他人やしくみから得ようとして

【感じる】という部分が決定的に欠如してると感じる。

 

『根性ナシ』を認めれる人はいいんですよ。

【これ以上やったらヤバい】と撤退できるから。

それをするとリスクが生じるのも事実です。

【根性ナシ】とレッテルを張られ

更に大きなペナルティを負荷されるか?

落第生として阻害されるか?

そこまでを受け入れる器量ってかハラ括らないと

撤退なんて出来ません。

撤退には決断した側に

大きなリスクだけが生じてしまいます。

なので最後までやり切ろうとすると、この様な事故に

なってしまうのです。

 

この指導って未だに日本のあっちこっちで行われているんでしょうね?

これは学校部活動の話題ですが、野球やサッカーのクラブチーム

なんかでも、同じようなコトを【指導】として行われていること。

ちょっと前にワタシは【危険性】を危惧しエントリーしましたが

ことサッカーにおいては、日本代表のレビューを協会がまとめる前から

あーだこーだとレビューされ、選手のクチからも

「フィジカル強化」なんて言われたから

ワタシは『怖いなぁ~』と考えています。

 

持久力強化トレは確かに必要です。

でもそのトレーニングを

①どーして罰ゲームの延長戦上で『指導』と称し行うのか?

②この季節・気候で『今すること?』の妥当性は?

そんなことすっ飛ばしてさせてしまうのが、ホンマ怖いですよね。

 

キツいこと言って「させる」指導もありますが、

①その時は絶対に目を離さないことと

②一線超えそうな手前を指示した側が判断し止めること

この2つが揃わないとやったらアカンのですが・・・

ニッポン中の【逆上せ上った】指導者は全部無視してやってしまう。

 させる、押しつけることが『指導』と誤解して。

 

こんなんの事情説明観てても判子でついたよーに

・行き過ぎた指導

・当該指導者への厳重注意

って出ますけど、なにを注意してるんでしょうね?

注意の中身がごっつ気になります。

 

こーゆー事案、指導者は知らん顔したらアカン。

海外の指導がどうこうって比較論ではなく

『この環境下でそんなことしたらどうなる?』って

コトをまず考えること。

それと【熱心な指導】と【理性失うこと】とは違うゆーこと。

指導者は絶対にアツくなったらあきません。

『冷静にキレる』のはえーけど、ホンキでキレたらアカンです。

 

それと昔の指導法を美化しないこと。

私の世代は戦中・戦後教育を直に受けた親に育てられているので

たいぶ歪んだ教育を受けて育ったとワタシは考えています。

 

親も大概えー歳なんで、それを今更否定してもなんも始まらないので

それはワタシの心の内に閉っていることです。

 

そんでワタシたち世代もだいぶえー歳になってきて

指導者を指導する立場になったりなんかしてることもありますが

ワタシも、ゆーてもエラそーに「昔の武勇伝」を

語ってることあります。。。

が、注意してるのは『だからお前たちもやれ』ではなく

【その土台の上に今があるから、今あることが「当たり前」と

感謝のない姿勢だけはないようにしようね】

って感じで接するようにしています。

 

 

『自分がされてイヤなことは、人にはしない』

 

その想いがあれば、接し方って変わるんじゃないかな?

 

そう感じています。