大阪からマリーンズを応援し、地元でセレッソを応援するおっさんのブログ

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《スポーツ指導》世間の風潮に指導者サイドがついていけてない感じ

headlines.yahoo.co.jp

またかよ。。。です。

 

記事を拝読しワタシなりの感想としては、

世間の流れに選手サイドは若さからなのか?風潮を察知し

発想が変わってるのに、

指導者側は相変わらずいにしえの自身が受けた指導方法や

取り組みの考え方を【美談】とし、後世に伝えるが如くの

『スパルタ指導』を続けてるんやなぁ~と。

 

どーゆーかな?指導者側に立つニンゲンの【世間が狭い】のが

ひとつの因子なのかな?と。

五輪を目指す水球選手であったとしても、炎天下の野外プールで

朝5時から夜の9時まで練習って。。。

特に日中の気温考えたら、なんも水の中やゆーたかて、水はすでに

ぬるま湯になる様な気温です。

で、ココなんですが、推測ですが、指導って

「ワシの現役時代なんかなぁ~」となるのでしょうが、

『イヤイヤ、あなたの現役時代の数十年前と現在では、いくら夏や

ゆーたかて、明らかに気温が違うでしょ?』ってコトが

【世間が狭い】ので見えていない気がします。

 

それで指導を受ける側は現代の若者です。

色々な情報を多方面から仕入れており、且つ若いのでその情報の

脳内での処理速度は指導者の比ではないと考えます。

 

となりますと、考え方の乖離が大きくなるとこに

いくらジジイでもFacebookなりTwitterくらいはしてるので

パッと思い浮かんだ「ホンネ」がupされ、それが拡散され。。。

 

『負の連鎖』がこの結果だと思います。

 

 

ワタシ常々思いますが、指導者ってなんでこんなに世間ズレした

人が多いのか?それが凄く不思議です。

 

その代表格が日大アメフト部事件での前監督や子飼いの前コーチの

態度・対応であったり、

もっと組織規模は小さくなりますが、この炎天下で罰ゲーム的に

距離にして18㎞相当のランニングを指示し、指示された生徒が

ランニング途中で倒れているのを指導者は監視もせず

幸いなことに第3者が発見し処置したからことなきだった様ですが

『こーゆー指示して、放置して【タラ】』の想定なく

させてしまうのがホンマに怖いなぁと思います。

 

もう日本の指導ってのはいにしえの『軍隊教育の延長線上』で

あることから脱却しないといけません。

それを強く感じるのは、ワタシの両親は戦中生まれ。

やっぱり成長過程の教育は体罰ありきのスパルタ教育でしたね。

世間もそんな風潮が当たり前の時代。

そんな指導を受けた方々が指導者となり、50歳くらいになると

人によっては『指導者の指導』でいにしえのスパルタ指導を

【美徳】として伝授する。

そんで受けた側がどう解釈し、指導に還元していくか?

それこそ日大事件じゃないですが、前監督に就職斡旋と「コーチ」の

職制を授かった人は、世話してくれた人に反抗することなんて出来ずで

同じこと、この場合はもっと酷いこと?それとも監督の内に秘めたことを

体現することで忠誠誓ったのかもしれないです。

 

で、こーゆー指導を続けて自分もそれ相応の年齢や立場になった時に

『変えることが出来る、世間を見る目、感じる心』があれば

変化をつけることが可能であるのですが、

ニンゲンは基本【変化】を嫌う動物。

会社でも【改善活動】なんてしてますが、便利グッズが増えるカイゼン

みんな喜びますが、作業改善になった途端に難色や拒否反応を示す人が

一気に増えます。

そこを【変える勇気】をどれだけ持てるかじゃないのかな?

 

これまでのやり方しか知らないから【変える】のは怖い。

それがグダグダと続くのが、現在の世間の風潮と現場指導者実態の

乖離なんだとワタシは感じます。

 

そんで、世間は世間で『主観的に騒ぎすぎ』

海外がどうとかこーとかってハナシやないのです。

スポーツ指導現場にいえることですが、ニッポンの指導って

基本的には監督やコーチの『ワンオペ』が確固たる主流。

技術指導からフィジカル指導、メンタル指導までを

全部が全部、監督・コーチが役割分担なくするのが普通。

ワタシも「こんなモン」と考えていましたが、改めて考えると

それぞれに専門性のあることを『見かじった、聞きかじった』で

やってしまうのが【フツー】なコトが実態なのです。

 

ここを専門的に分担してするのはそれこそトップ中のトップスポーツの

ほんとごくわずかに限ります。

 

この辺りも世間も現場も「考え方」に変化を持たないとダメなんですよね?

 

 

さまざまなことに【専門性】も問われる時代になったと思います。

スパルタ指導になる因子ってのは、全てが全てを監督一人で背負う

ことからくるストレスがそーゆーカタチで表してしまう

って考え方も出来なくもないです。(容認ではないですよ)

 

ニッポン人特有の【ワンオペ主義】を見直さないと

いつまでも変わらないのだと考えます。

 

指導者さんも、もっと広く世間を見る目を持ち、感じるチカラを

養うのが必要なんじゃないかな?

「出来ないことは出来ない」と認める勇気も必要。

そうすれば指導のアプローチも変わってくると思うんですがね?

一番いけないのは【過去に囚われる】こと。

これが考えの『イの一番』に来る人は、人に指導するセンスがないので

他の仕事探した方がイイですね。

ボランティアであるのなら、そのボランティアは辞退するとか。

適正のないことを偽善だと言って、偽善の押し付けはしたらアカンです。

 

ずっと前から『スポーツ指導者』とくにワタシの身近にある

『少年サッカー指導者』への疑念から、こーゆー記事をみる度に

反応してしまいます。

それぞれの『特殊性』あるのかないのか分からないとこまで

『特殊性』の色出して【変えないチカラ】は異常です。

 

世間は変化しています。顔色伺うのではなく

ジブンも変化せんとアカン。

流されるヤツは資質ない。

感じてどうテーマ付けして推進するか?

 

そこが大切だと常々感じております。