大阪からマリーンズを応援し、地元でセレッソを応援するおっさんのブログ

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《》想いや言葉が見当たらない

昨日一斉に報じられた、堀ちえみさんの

 

口腔がん or 舌がん発表の報道。

 

 

思い起こせば24年前、ワタシの父親も

 

舌がんを患い、舌の左半分と

 

転移を抑制するためにリンパの摘出手術を受け

 

3週間入院した経験があり、その当時のことを

 

思い出してしまいました。

 

 

堀さんの報道で伝えられている端々に

 

当時のことと被ること多々あります。

 

またこのニュースを見聞きし

 

当時の記憶がブワッと蘇ってきたので

 

書き留めることにしました。

 

 

最初は口内炎ができたとし、

 

同じ時期にワタシの妹も口内炎ができ

 

口内炎には酵母と肉が良い」

 

とか言って、ビールと肉を好んで食べていました。

 

妹はすぐに治りはせど、オヤジは中々治らず

 

時間が経ち、ずっと通院してた耳鼻咽喉科の先生に

 

なにげないハナシから「口内炎が治らない」

 

と告げると、先生がどれどれと確認した所

 

これは・・・おかしい・・・

 

となりすぐに細胞採取し、長男さんが大病院の

 

耳鼻科で務めているということですぐさま細胞検査

 

頂いた結果、悪性がん細胞であることが発覚。

 

その耳鼻科の先生にはワタシも幼少時から

 

お世話になっている先生。

 

後に聞いたハナシによると、ずっと通院していた

 

父の舌癌を察知すること出来なかったこと

 

悔いておられたとお聞きしました。

 

 

当時23歳のワタシ。舌癌のこと、すぐに手術すること

 

そして・・・

 

どうしてもこの病気は【生死】の件は必ずついて回ります。

 

【大丈夫】としても、

 

それは本当の意味での大丈夫なのか、

 

それとも気休めの大丈夫なのか?

 

判断がつかないことであります。

 

それまで、リアルに【死】ということに

 

向き合ったことのない人生。

 

『父親がいなくなってしまうかも』という不安

 

ガキの頃は怖かったオヤジですが、歳を重ねるにつれ

 

ヨソに比べると、相当仲の良かった親子だったと。

 

酒の飲み方を教えてくれたのはオヤジでしたし

 

その当時、ソフトボールチームで

 

オヤジがピッチャーでワタシがキャッチャーの

 

ご近所リーグであったけど、

 

名物親子バッテリーでプレーしてました。

 

また、『もしもオヤジが・・・』を考えた時、

 

妹は大学生やったので、ワシのチカラで

 

妹を大学卒業させること出来るのか・・・

 

とか。

 

そんでオカンは勿論ずっと不安であること

 

オヤジが寝静まると、ずっとワタシにハナシしてくるし

 

『ワシだって不安や』ってコトバは吐けず

 

家では会社の文句ばっかり垂れてたけど

 

ホンマはジブンの本心ハナシしたくなかったってのが

 

ホンネやったと思います。

 

 

手術前日からの入院。

 

なんか不思議な時間だったです。

 

そんで手術当日。今考えると、なんであんなに

 

親戚一同が集まっていたのか?未だ理由が判りません。

 

手術室には9時過ぎには入ったのかな?

 

ピースしながら手術室へ行くエレベーターに

 

乗込んで行きました。

 

お昼になり、親戚の叔父さんが

 

「交代で食事行こうか?」と提案ありましたが

 

『みんなで行ってきて。オレここで待ってるから。

 

みんな戻ってきたら、オレ行くわ』

 

とみんなを送り出したけど、ホンマは凄く怖くて。。。

 

ただ一人になる時間が欲しかったからそうした。。。

 

手術時間は長かったですね。

 

全身麻酔が覚める時間もあってやったと記憶しますが

 

病室へ戻ってきたのは16時前だった記憶が。

 

舌を半分切除してるので、口には呼吸器ついてる状態で

 

痰を抜くのに喉にバイパスついてるし。。。

 

看護師さんからは「手術は無事に終わりました」と

 

伝えられても、その姿からは「無事」には到底思えず

 

『どこがやねん。。。』と。

 

そのアトすぐかな?執刀医の先生。父の癌を見つけてくれた

 

先生のお子さんでして、近所やったので子供の頃

 

多少は知った人やったので「あっ」って感じやったかな?

 

手術の内容や、切除した舌にリンパ線を見せてもらいながら

 

がんという病気のことをレクチャー受けました。

 

その後の経過も順調とは聞いてましたが、

 

退院までは長かったですね。

 

面会時間までオカンが付き添っていたので、

 

毎日、仕事は定時で終わり、車通勤不可の会社だったので

 

1時間かけて電車で帰宅。その道中に電車の窓から

 

その病院眺めながら帰宅して、帰宅即、今度は車で病院へ。

 

しばらくそんな生活してましたね。

 

そんな生活でも少しの楽しみだったのが、

 

病院へ向かう道中、運転しながら聞く音楽。

 

今でも大好きなB'zを中心に、、、

 

アト誰がおったやろ?スピッツやろ、それから・・・

 

もう忘れましたね。。。

 

B’zのシングル『Love Me I Love You』の発売日に

 

オヤジの退院が週明けの月曜日に決まり。

 

オヤジがこんな状態やったから、行けるかどうか?

 

不安視しながらも、オカンが『1日くらいはいいから』と

 

送り出してくれた、ワタシ初めてのB'zのLIVE-GYM初参戦

 

その当時は舞洲なんてゆーてたっけ?の野外ライヴが

 

退院前日やったこと。

 

なので、今でもLIVE参戦し、Love Me I Love Youの

 

イントロ流れたら、その当時を思い出し

 

涙流してしまいますね。。。

 

 

 

ワタシの知るその当時はステージ◯とか言ってた

 

記憶がないので、堀さんとウチのオヤジの症状と

 

比較は出来ないのでアレですが、

 

そんな記憶があるからから

 

ガンバレとか、負けないでとか

 

その一方で、現実的にそうであるのか知れないですが

 

なにか他人の症状を理屈一杯にあーだこーだと

 

書き下るとか。。。

 

 

ワタシとしては、堀さんご本人よりも

 

症状を告白したとする息子さん、娘さんのこと。

 

当時のワタシや妹と近しい年齢っぽいので

 

そちらの心境の方が気になりますかね?

 

堀さんはタレントさんなので、どうしたいか?ですが

 

堀さんからの発信なければ報道は自粛された方が

 

よろしいかと。

 

 

とにかく静かに。ですね。