大阪からマリーンズを応援し、地元でセレッソを応援するおっさんのブログ

NPBはMarines、JリーグはCerezoを応援する、おっさんのブログ。娯楽もちょこちょこ書いてみます

《曺貴裁事案》整理せんとアカンこと

Jリーグ界を騒がせているこの話題です。

 

まぁ話題になっているので、あれやこれやと

ウソかホンマか分からへん情報が飛び交って

いるのが実態ですが・・・

 

一部の記事では「パワハラ」の告発として

スキャンダラスに被害者の声みたいなんを

書き連ねてる記事。

こんなんは真に受けたらアカン部類のネタ。

だからスルー。

 

 

サッカー関連の情報からは

曺監督がいなくなったら湘南サッカーが継続しない

曺監督が築き上げたスタイルやから継承が難しい

ってな寸評が溢れており、

このスタイルの礎たるや

『怒鳴り・罵倒し・分かり合う』

みたいなことをやたらと評価してる風潮。

 

カキコミなんかを拝見していても、

「プロやからその厳しさに耐えれてナンボ」

「それに耐えて走り切るメンタルが形成」

「怒鳴られないことを望むのが甘い」

「戦力薄いから怒鳴られて走り切ってナンボ」

「怒鳴られるからハングリー精神が築ける」

⇒これはごっつ根拠なさすぎ・・・

そんな理由から曺貴裁監督が

【志すサッカーが認められている】

【だから湘南はJ1中位に居られる】

 

なんかごっつ可笑しな視点から

曺貴裁監督の手腕って評価されてるんやぁ~って。

 

これってね、戦時中の日本国教育論と

なんも変わってねーやん???ですよね。

 

先のエントリーにも書きましたが

ワタシもこんな議題になるまでは

問題視してませんでしたが、

こーやって議題になり、改めて色んな記事を

読み返したり、先に話題になった映像を

眺めたりしてると、

『やっぱ問題ある方法』やなぁ~と。

 

【走り切るサッカー】ってのは

先般のサッカー、ワタシ的には

Jリーグって、最後まで走れて且つ

一定以上のスピードないと厳しいリーグ。

外国人補強でも、走れない・スピードない選手って

大概使えないイメージです。

なので【方針】【目標】としては

至極真っ当な方針かと。

 

そんで問題とされるのは、落とし込み方。

怒鳴りつける

罵倒する

罵倒し合う

これを落とし込みのツールとして

非常に重宝されていたこと。

 

それでこのツールで落とし込まれたことが

成果を挙げていたことで、この方式の

メリットばかりが評価・絶賛され

デメリット【悪さ加減】を

レビューせず

みんなが信じ切ってしまったこと。

ココに問題があったんではないかなと。

 

 「パワハラ」とういう刺激的なフレーズが

コトの本質の悪さ加減が見えなくなってる

要因かと。

 

主力選手は曺監督のやり方の

負の部分に疑問が無い。

クラブという組織の中で曺監督のやり方の

負の部分に対し、是正を促す環境というか

「一歩引いて客観的に鑑みる」立場にあり

「是正を促せる」ポジションの存在が

あったのか?なかったのか?

 

一部のダメな部分だけを摘み上げ

「全部悪い」

としてもダメですが、

大半が良いからといって、問題点をレビューせず

「良いコト多いから、アカンことは無視」

これもアカンことだと。

 

怒鳴りつける・怒鳴り合う・罵倒する・罵倒し合う

 

これが容認されている環境って

これはフツーの状態ではありません。

 

湘南ベルマーレの選手に望みたいのは

「曺監督がいなくなったから走り切れなくなった」

ってコトになるのは避けて欲しい。

そんでこれまで容認されていた環境であったとしても

「怒鳴り合い・罵り合う」ことも辞めるべき。

議論は構わないが、怒鳴り合い・罵倒し合いはNG

 

これを強く想うのは、なにか

怒鳴る・罵倒されるって呪文ありきでやっている

みたいな【やらされてる感】

この呪縛から解かれた上で今後に目を向けるべきと。

 

曺監督も辞任の方向みたいですが、、、

昨日のエントリーでは辞任相当としましたが

ダメなことの本質理解し、落とし込みのツールを

見直すのであれば、続投はアリかな?と。

ここで辞任となってしまうと、曺監督自身の

出直しも困難になるように思えますし。。。

 

そんで選手達も一度アタマをリセットすること。

ピッチでやり切ることが変わるワケでない。

これまでの「呪文」でカラダを動かすのではなく

【自身の意思】でカラダを動かすこと。

そして意思疎通は論議の上で行うことの意識。

 

問題視される直前までの曺手法を

【正】としてる選手諸君

いつまでも選手でいれる訳でなく

いずれは引退する時が来て

次のキャリアを好むが好まざろうが

進まなければいけない時が来る。

その時に、今のやり方を【正】としたまま

次のキャリアへ進んでしまうと、

それは凄い過ちを犯す危険性があるということ。

 

物事ってのは

怒鳴り・罵って、首根っこ捕まえて

解らすのではなく、

話し合いから分かり合うこと

を理想・目標にするのが良いと。

 

勿論、凄く難しいことです。

そんな意味では怒鳴りつけ・罵倒し

さらに昔では愛の鞭という暴力で

説き伏せる、恐怖心で支配する

カンタンな方法が美徳とされてた

時代がありましたが、

 

時代がどうこうやなく、

ダメなコトはダメ

 

怒るな、なぁなぁ言え

そんなこと言ってるんじゃなく

【伝え方】

そこがまだ日本人ってのは

上手くないというか

本質を理解していないというか

 

それは自分自身の自戒を含め

 

その視点に立つことが大事かと。