大阪からマリーンズを応援し、地元でセレッソを応援するおっさんのブログ

NPBはMarines、JリーグはCerezoを応援する、おっさんのブログ。娯楽もちょこちょこ書いてみます

《訃報》野村克也氏 死去

古き良き時代のパ・リーグ選手の象徴ですね。

 

自身を「月見草」と称しましたが、

現役引退後、テレビ朝日プロ野球解説者を経て

ヤクルトスワローズ監督就任。

輝かしい戦績を積むにつれ

「月見草」ではなく「ひまわり」になられたと。

 

南海ホークスでのプレイングマネージャー時代

薄っすらとですが記憶にございます。

オヤジに連れられて足を運んだ大阪球場

南海 vs ロッテの試合。

ロッテ応援団から「野村が悪い!」のコール。

コールゆーよりもヤジの煽りかな?

ワタシの父親も含め、そんなコールしてたこと

記憶に薄っすら残っています。

 

そして大人になってから『なぜ、そうなったのか』

が紐解かれた、野村選手兼監督が南海ホークス

電撃解任された事件。

サッチーとの交際がスキャンダル扱いされ、それを

嫌った南海球団が南海取るか?サッチー取るか?を

要求した結果、サッチーを取った野村さんが

南海球団を解任された事件。

 

これもあってでしょうね?今は亡き大阪球場跡地の

なんばパークス(ワタシもトントご無沙汰ですが)の

最上階にひっそりとある【南海ホークスギャラリー】

今はどうか?ですが、あれだけ南海ホークス

功績残した野村克也氏のこと、ほとんど記されず

記念品も全くなかったですね。

たしかだいぶ後になって、野村家と和解して

展示物が並んだ?とか聞いた記憶が・・・

不確かな記憶ではありますが、

南海ホークスギャラリーオープン当時は

ホンマになんもなかったです。

 

南海ホークスを解雇された野村克也氏に

声を掛けたのは、ロッテオリオンズ

当時監督の金田正一さんのゴリ押しで

球団にウンといわせてオファーし入団。

確か子供の頃、幼稚園?小学1年生?

とにかくそんな時代にオヤジに買ってもらった

ロッテオリオンズのすべて】

ってタイトルやったと記憶する文庫本の

選手名鑑に【野村克也】ってあったですね。

そんでウチのオヤジが

「Hjm、今までは【野村が悪い】やったけど

これからは『野村は賢い』やぞ」と

吹き込まれた記憶、今でも鮮明にあります。

 

結局、ロッテオリオンズ在籍は1年で

翌年に誕生した西武ライオンズの初期選手として

移籍?それとも戦力外?でいなくなりました。

 

ホンマに子供の頃の選手なので、

リアルにプレーしてる記憶はなく

フツーに大人が称する姿しか記憶にない

野村克也氏ですが、現役時代に触れるモノに

巡り合ったのが、、、

調べるとこの現役引退された1980年以後の

7~8年後ですね、ワタシが高校生の時です。

夜に駅前徘徊してた年代。確か昨年の今頃かな?

に破産した天牛堺書店の某駅前店の古本コーナー。

水島新司さんの「あぶさん」の1巻を立ち読み

してから、「あぶさん」にハマってしまい、

カネが無いから古本で巻数は飛ばし飛ばしで

ありましたが、読み続けており、その中で登場する

野村克也プレイングマネージャー】は

野球解説で知る『野村克也氏の口調』で

見事に人格を表していたと思われる、

水島新司さんの描写が絶妙だったと。

 

今回の死去で思い出した「あぶさん」の中でのこと

野村「代打あぶ、その次が門田」

審判「今一気にいうんですか?」

野村「どーせ同じことするから1回えーやろ」

とベンチに戻る姿。

ちょうど門田さんがアキレス腱断絶から復帰する辺り

が題材のシーンだったと。

漫画なので【現実】では勿論ありませんが

『現実やったらあったやろな?」ってトコ

今でも記憶してますね。

 

アトは南海からロッテに移籍してから初の対戦。

確か川崎球場が舞台での設定だったと記憶しますが

南海各打者は打席に立つとノムさんの「ささやき」で

プライベートをイジられて打席に集中しにくい中

代打あぶが告げられ打席に入ると、あぶにも

劇中で後に結婚する居酒屋大虎の看板娘

サチ子のことをイジられても微動だにせず、

「あぶには囁きは通じんな」と心でつぶやき

勝負するシーン。

確か結果はタイムリー3ベースやったかな?

そんで塁上のあぶが

「次はホーム狙いますよ【野村監督】」と

涙してるシーンはまさに当時の南海選手および

水島新司さんの心境を描写していたのと

いかにも野村克也氏が「しそう」なこと

描かれていたのに引き込まれましたね。

 

 

 

ワタシももっと大人になってから、

野村さんの著書は何冊か拝読し

非常に興味深く・面白い著書ばかりでしたが、

4、5冊目辺りでかな?感じ始めたのが、、、

どの本もエピソードがほぼ同じこと

書かれていること。。。

ちょっとソコに気付いてから

読まなくなったですね。。。

 

スワローズで輝かしい監督生活を歩まれ

タイガースで・・・

「元南海」「前ヤクルト」って肩書に対し

【名門阪神】を自負するなんの実績のカケラもない

タイガースOBと言われる連中が

かなり野村さんの邪魔したイメージ?

それとこれは野村さんの【失策】やったと記憶しますが

3塁コーチに伊原春樹を招聘したこと。

何よりも影武者であることを快く思ってなかったと

後々のライオンズ監督途中辞任まで

ワタシが信じて疑わなかった伊原を組閣に入れたコト。

結局お互いの野球観で衝突してベンチ混乱させたこと。

阪神って球団もですが、伊原入れたのもマズかった。

やけどゆーても、安〇や〇枝に代表される

阪神OBって肩書にぶら下るだけで

なんの実績もないOBが関西マスコミ界で

幅利かせてた時代。

やり難かったと思いますね。

 

最後の監督業は楽天イーグルス創設2年目から。

監督初経験の田尾さんよりも、、、

サンテレビの阪急戦放送で解説していた

謎の外国人、マーティ・キーナートをGMに据えたのが

世紀の大失敗???

とにかく戦力揃えるのに四苦八苦してた

創設2年目のイーグルスの監督に就任。

最も有名なフレーズですが

マー君、神の子、不思議な子」と

おどけながらいった後に

「これも親に授かった運。親に感謝せにゃ」

とボソッと言ってからマスコミとの質疑に入るトコ

「親に感謝」って辺りに野村さんを常に見ていた

気がします。

イーグルス監督時代で印象に強かったこと

ワタシは【山崎武の再生】やったんやないかと。

中日からオリックスに金銭トレードされて

プレーしてた時って、ふて腐れてプレーしてたの

TV画面からもアリアリでしたもんね。

イーグルス1年目から4番に座っていましたが

オリックス時代よりヤル気は感じましたが

そこまで怖い存在ではなかったですが、、、

野村監督就任後は怖い4番に再生されたと。

 

イーグルスでも最終年は好成績残したのに退任。

オーナーが継続よりも次のステップを望んだ結果。

まぁ、このチームはオーナーが厳しいですわ。

カネもクチも思考も全部注ぐから。。。

 

 

この数年も時々TVで野球のことお話してるの

聞いていても切り口が面白いですね。

生粋の野球好きですね。

 

また昭和のパ・リーグらしい方が亡くなられました。

もうそんな御歳と言えば御歳です。

 

昭和のパ・リーグの語り手がまた。。。

そこが本当に寂しいかな?

 

死去に伴う記事にある昔の写真には

ホント稀に大阪球場で撮影された写真があり

昔を懐かしんで眺めています。

 

私が生まれてからのパ・リーグ

平成に入り、南海・阪急が身売りし

ダイエーオリックス

大阪球場西宮球場藤井寺球場日生球場

今はすべてありません。

そして昭和のパを象徴する人物も。

 

マリーンズファンではありますが、

南海沿線住民なので

南海ホークスは今でも身近な存在。

そのレジェンドが・・・

 

ワタシもそんな年齢になってるのかな?

 

ご冥福をお祈り申し上げます