大阪からマリーンズを応援し、地元でセレッソを応援するおっさんのブログ

NPBはMarines、JリーグはCerezoを応援する、おっさんのブログ。娯楽もちょこちょこ書いてみます

《サッカー雑談》「言い合えること」は本当に良いことなのか?

連敗続く鹿島さんが

サポーターから痛烈な言葉を浴びせられ

キャプテン?の鈴木優磨選手が

涙ながらに「背中を押してくれ」って

歎願してる映像がありますが、、、

ワタシ、アレに凄く違和感と嫌悪感を

覚えています。

※今季移籍してきた選手に「帰れ」なんて

 罵倒あったですが、あのハナシは

 別件として切り分けても。

 

なんかこの構図って

『究極の【お客様は神様です】思考』

なんじゃないんかな?って。

 

ワタシがここで、あーだこーだ書くのとは

ワケが全く違うんじゃないのかと。

 

現に映像・動画として残り、

DAZNで配信された映像自身に

加入者は容易に視聴することでき

またその映像のキリヌキがSNS上でupされ

それがさらに拡散される。

 

チームや選手がサポーターをリスペクトすること

それは応援する側からすると

「ありがとう」で済ますこと。

「俺たちは魂込めて応援してるんだぞ」

それは個々の勝手であって、それを押し付け

やれ魂がヤル気がと分かった様なクチ叩いてるのは

『絶対におかしい』

仮にこれを選手側が「ナニっ?テメー、この野郎」

って返したらどうなりますか?

サポーター = チーム・選手じゃなく

サポーター > チーム・選手の構図で

あれはまさに

『究極の【お客様は神様です】思考』

勘違い甚だしいなと。

 

で、この話題を取り上げた記事でも

またおかしな評価をしてる

サッカー元日本代表

news.yahoo.co.jp

あれは絶対に話し合いの雰囲気でない。

誹謗中傷・暴力ではないが

『究極の【お客様は神様です】思考』

の物凄い質もタチも悪いクレーム。

 

この方も「サッカー畑」で育ってるから

それが「常識」になっているようですが

引用すると

傍から見れば、選手とサポーターの言い合いのような形に見えるかもしれないですけど、お互いが真剣に向き合ってるからこその出来事。選手はファン・サポーターがいなければサッカーができないし、選手がいなければ、クラブがなければファン・サポーターも楽しめない。

どちらが立場的に上だとか、偉いとかではなく、言い合える関係であるのは、素晴らしいことだと思います

 

サッカー界の常識である『言い合える』の基準

本当に『ズレてる』と感じる。

『言い合える』がいつしか『罵倒しあう』関係になり

それを美徳とした結末がどうなったか?

なぜ今、曹貴裁京都サンガの監督してるの?

なんで湘南の監督を解任されたの?

 

あの一件からサッカーに携わる方々は

【何を学んだのですか?】

 

あんなやりとりのどこが素晴らしい?

サッカー界で成功収めた栗原氏だが

一般人の教養として欠け過ぎてはないか?

あんなこと一般社会では絶対に有り得ないこと。

それに【〇〇だから】ってのは違う。

そこは引退し指導者になっているのであれば

その考え方は是正すべきです。

 

サッカー界の「言い合え」って発想は

本当に危ないです。

 

これを若年層でやってしまう指導者いますが

子供同士でこれやらせるとゼッタイに

素性のよろしくない子

やんちゃな子

がマウントとって

気の優しい子・弱い子は言われっぱなし。

それがサッカー離れた練習や試合の行き帰りや

学校生活での上下関係にまで及ぶということ。

 

その想像しないままにやってしまう。

 

そこの分別がつく人は

『少数派』であって【多数派ではない】

 

「欧州に追いつき追い越すには」

「南米に追いつき追い越すには」

で日本にない文化をどんどん輸入したがりますが

 

【輸入すべきこと】と

『日本には合わないので他の方法を考えること』

は分けて思考すべき。

 

 

いつまでもこんな関係が

『サッカーの美徳』とする思考力

 

もうここからは脱却しないといけないのでは?

 

昨年の夏ごろからかな?

Jリーグ眺めていても

明らかなファールを犯し

映像判定までされているのに

審判取り囲んでごちゃごちゃいってるの

凄く【嫌悪感】を覚えています。

 

そんなことも含めて

『日本の良さ』『日本人の良さ』を踏まえて

世界に渡り合えるサッカー文化を

志すべきではないのかな。

 

と強く考えています。