大阪からマリーンズを応援し、地元でセレッソを応援するおっさんのブログ

NPBはMarines、JリーグはCerezoを応援する、おっさんのブログ。娯楽もちょこちょこ書いてみます

《高校野球》にぃにぃの【野球大冒険】終わる。その2『迷走する【自主性】』

前回エントリーのつづきです

 

1年秋から新チーム

1学年上の先輩はいい先輩ばかり

アットホームな雰囲気の【自主性】は

表裏一体だったと

保護者目線では感じています

 

この時期は「楽しかった」そうです

独自リーグの試合にも適度に出場させて貰い

当時は【投手志望】だったこと

貴重な左腕ということも相まって

先発を1試合だけでしたが経験させてもらい

やっと『順風満帆』な風に乗ったなと

思った矢先・・・

 

バッティング練習にてピッチャーをしてた折

ピッチャーライナーを掴み損ね

顎に打球が直撃し、顎下骨折してしまいます。。。

練習中の事故なので、これは仕方ありません。

部活側も安全確保に怠慢があったこととし

バッティング練習中、投手前防護ネット設置を

怠ること常態化していたとされました。

この事故を起点に今も確実に実行されている

打撃練習中の投手前の防護ネットと

投手・打者ともヘルメット着用

こうやって活きているのは良いことです

 

本人曰く「無念」だったと

やっと選手らしいこと経験できた矢先の事故

そしてこの事故、正直大きな事故でした。

救急で運ばれ、その日はすぐに帰宅したが

翌日の診断で

綺麗に下顎が両犬歯起点に割れており

最短日程で手術

手術も全身麻酔してプレート打ち込み

歯茎に固定ゴム装着用のピンを立てて。

ピンは1週間で抜きはするが

プレートは半年から1年までの間で

外す手術を受ける必要あり

 

本人「これで野球は終わり」ってキモチになるんかな?

って入院中何度もベットで考えたが

そんな気持ちに一切ならず

『復帰したい』って気持ちが先にあったと

しかし事故の大きさは十分自覚しており

恐れたのは

部活に戻ってから「やっぱり怖いから辞めよ」と

なってしまうことと

そうなってしまったら、打者だった先輩を

傷付けてしまうんじゃないか?という不安

先輩が怖いのではなく、やさしい先輩なので

「ジブンのことで傷つけたくない」

その想いの葛藤が、部活復帰までずっとあったとか

 

手術・退院を経て、秋のリーグ戦

チームは決勝リーグまで駒を進めており

「一緒に戦った仲間なので、是非ベンチ入りを」

と監督から催促をうけ、

にぃにぃもワタシども夫婦もそれに賛同し

最後の数試合ベンチ入り

仕事はひとつ上の非常にお世話になった

マネージャー先輩の補助

今思うと、監督の「早期復帰」の催促は

来年夏で引退するこのマネジャー先輩の

【後継者】を目論んでのことだったのかと。。。

この先輩、1年生までプレイヤーでしたが

故障続きの末、選手を引退しマネージャーに転身。

卒部試合でショート守ったですが

めっちゃ守備が上手く

バッティングも逆方向に上手く打つ

バットコントロールは唸りました。

 

冬が過ぎ春になり

3月から対外試合解禁

自身のインスタ見直しても

練習試合はあんま観戦してないですね

理由はひとつ学年上のマネージャー先輩

との師弟関係を邪魔したくなかったから

家でもこの先輩のハナシを常にしており

一度、僻地開催試合があり

この先輩も同乗してもらい送迎した時

にぃにぃが心許した人じゃないとしない

ハナシ方をしているのを聞き

この先輩も凄くいいアキニとして

接してくれているの知っていたから

それと、、、

個人的に部活全体を眺めていて

「あんまようないな」と

この辺りから薄く感じていたこと。

野球部の試合って、まぁ僻地であったり

するんですよ。

その場合は保護者が送迎しないと

どうしようもないケースもあれば

駅から数分、数十分で行けるとこくらいは

『部員同士で集まって行けよ』と

けどここでも親が率先して送り届ける。

自身の経験談でありますが

練習試合に公式戦の行き帰り

【チーム移動すること】で積み重ねる

チームワークが存在すること

こんだけ保護者が全部したらアカンやろと

 

にぃにぃは僻地開催時は

「先輩と一緒に送って欲しい」と言うが

電車・バスを乗り継いで行ける会場なら

「先輩と一緒に行く」としたので

あえて送り迎えせず

時々、観戦に行っても

大概「先輩と帰る」としましたね。

帰りに寄り道で先輩が好きな

坂道グループのDVD買うのに連れてかれたり

一緒にメシくって帰ってきたり

この時期、試合起用はほとんどなかったが

信頼する先輩と行動を共にすること

悩みを相談したり、野球を教えて貰ったり

本人曰く「先輩と一緒の時間は凄く楽しかった」と

 

先輩との楽しい時間と

プレイヤーとして起用されないギャップに

悩み始めたのは

2年生4月から。

新1年生は練習試合2試合目

先発起用するが、にぃにぃはベンチ

代走に守備起用あっても

打席にくると代打送られ退く日々

「強烈に心が折れた」と言っていた

GW地方遠征

船中2泊の現地3日6試合で

起用は最終日2試合目

2日目終了後、他の先輩各位も違和感あるほど

起用されないほどの冷遇

1年秋の大怪我から、

素人を起用する危険性を危惧してか

純粋に選手として芽がないと判断されたか・・・

「オレ、船旅行しに来たんちゃうで」と

何度も心の中で叫んでいたと

昨日教えてくれました。

『ホンマに辛かった』と

 

そんな感じで時間が過ぎ

夏大会が近づきます。

部員総勢19名。

オートマティックで背番号を

貰えるが

『出場機会はあるワケない』

『監督の指示はマネージャーのサポート』

1,2年の夏大会

「選手としてみられていない」から

ハッキリいって『他人事』だったと

どちらも初戦敗退だったが

一切の感情もなかった。と

昨日教えてくれました。

 

『今思うと、あの時期って

先輩との時間が楽しかった思い出しかなく

野球はどっちでも良かったかも?』

と思い返してくれました。

 

先輩がいなければ、、、

恐らく辞めていたんじゃないかな?

 

マネージャーの仕事は大事な仕事

自身がチームの手助けすることは厭わない

けど【ジブンはプレイヤーでいたい】

だから

『マネージャー専任なら野球は辞める』

この意思はシッカリと明確にもっていた

そうです

 

そしてこの1年間のチームの振り返り

昭和世代の軍隊・全指示野球

から

自主性を重んじるチームに

おもっきり舵を切ったのはいいが

ワタシの感想ですが

指導者サイドもどうしてよいか分からず

選手もずっと「指示されたこと」だけ

遂行してればよかったが

【さぁジブンで考えなさい】となっても

安易な思考しかできなかったかな?

「なんとなく」がハマると爆発的に

打線がつながるが

ハマらなかったらナンの術もなく敗戦する

 

その象徴が昨年夏初戦

どうも選手・保護者ともに

1回戦は勝てる「だろう」といった

ヌルい雰囲気

開会式で隣に並ぶ対戦校に

つまらん冗談ずっとぶつけていたとか

そして肝心の試合では

初回、相手を甘くみた守備体形を

見事にぶち破られる3ベース献上し

一気に劣勢に

その後、中盤までシーソーゲームとなるが

競り合いでクビ抜けられると

ついに消沈してしまい

一切反撃するとか一矢報いるとかいう

感情を示すことなくゲームセット

 

世間一般的に

「自主性」なんて言いますが

『自主性ほど難しいことはない』

それをワタシも教えて貰った印象が強いです

 

ゴリゴリの昭和気質から

現代風への大きな転換期の1年

コトバ悪いですが

【迷走】したままこの世代は終了

してしまったのかな…

 

そして秋からの新チームでは

最上級生、最後の1年を

野球生活の集大成を迎えます

 

最終話へつづく