大阪からマリーンズを応援し、地元でセレッソを応援するおっさんのブログ

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《サッカー雑談》「日本的」貧困の定義なのかな?そして【楽しむ】の根本

ちと刺激的なタイトルだったので

多少うがった心構えで読み、

一度時間を空け、

次は素直な気持ちで読み返しました。

news.yahoo.co.jp

 

先に断っておきますが、

この記事の内容、特に小林悠選手の対し

反論も批判もする気は一切ないことを断った上で

雑感を並べます。

 

 

記事の走り書きのトコと本題の入口のところ。

 

南米やリオネル・メッシの言葉と

この記事のタイトルで謡う「貧困」は

かなり意味が異なる印象。

 

上の事例は「ストリート」や「原っぱ」の話題。

メッシの出発点に、アイス売りのおっちゃんが興じる

サッカーってのは『楽しむ』ことの原点かと。

 

 

で、現在のニッポンの事情はどうかというと・・・

『ボール遊びできる場所ってあるのかな?』って。

これはその土地の環境もあるので、

一概に語ることができないと思いますが、

ニュースや新聞のコラムに、

ワタシの生活圏でも見える光景ですが、

そう大きくはない公園ですが、

軽いボール蹴りや野球のキャッチボール程度なら

できそうなサイズの公園にでもある

【ボール遊び禁止】の看板。

昔はそんな看板無かったよな?ってトコにも

今はフツーにある感じ。

 

ワタシは第二次ベビーブームのピーク世代

大阪でもニュータウンっていう片田舎で育った関係で

車道と生活道が区分されていたので、

生活道で近所の子が寄ってして

ゴムマリにプラバットで三角ベースやったり、

ちょうど小学校高学年に差し掛かる辺りで

キャプテン翼人気】でサッカーに興味持ったら

ドッチボールでそれこそ「ストリートサッカー」したり。

 

当時は小学校も、放課後は校庭開放してたので

日が暮れるまで野球したり、サッカーしたり

出来る環境にありました。。。

が、ワタシはちとリキ入れて水泳やってたカンケーで

近所の子が楽しそうに遊んでる姿を尻目に

毎日スイミングスクールに通う日々。。。

イヤやったなぁ・・・

小学6年生の夏に全国大会とかを目標にする活動から

退いてからは、毎日、学校終わったら、

近所の子だったり、学校のクラスの子だったりと

野球したり、サッカーしたりするの

楽しかった思い出あります。

 

これを踏まえて本題に戻りますが、

昭和の時代、野球もサッカーも【遊び】が入口だったので

「ボールさえあれば」楽しめた時代。

南米ほどの環境ではないですが、それこそ

【ストリート】で子どもの遊びで出来た時代。

 

それをもう一歩踏み込んで極めたい子が

学区内の少年野球チームに入団したり、

当時はサッカースクールってちと遠いトコでやってたな。

確か今のガンバさん以前の団体が運営してたチーム。

まぁ行ってる子は少数でしたですが。

 

それが現代では・・・

サッカーしようにも、野球しようにも、

「場所がない」ことがフツーになり

【ストリート】でボール遊びする風習が

ウチの子とハナシしてても無くなってる印象。

 

やるとなったら『習い事』としてするのが

一般的になってしまってるのが実態かと。

 

 

サッカーを習うって言ってもね。

ウチのにいにいの事例ですが、

ゆーても習い事なので、

指導者のサラリーや団体運営に必要な

月々の月謝が発生し、

スパイクにボールは個人で準備して練習に参加。

校庭の固いクレーのグランドでの練習が主だと

観てる間にスパイクのポイントが擦り減り買い替え。

成長期なのでいくらでも足のサイズが大きくなり

サイズアップでの買い替え。

そんでボールも劣化早く、ほぼ1年毎に買い替え。

それに輪をかけて、、、

J-Green練習なるとグランド使用料別料金、

遠征に合宿ゆーたら、すぐに【3万円】みたいな。。。

ウチの子が入ってたサッカークラブは

営利団体にしてはリーズナブルな月謝設定だったですが

まぁ、なんやかんやとお金は掛かりましたね。

月謝プラスアルファで1万円以上は毎月必要だったです。

 

サッカークラブも子供の減少に、

親の収入減で肝心の子供が揃わずに、

クラブ解散したり、営利団体同士で合併したり。

経営環境的には厳しいみたいです。

また学区内のスポーツ活動で運営してるトコは、、、

月謝はめっちゃ安いです。

ほぼ部活動の維持費だけなので。

しかしですね・・・

親の当番でモメてるハナシもよう聞きます。

それもあってウチの子は3人とも、

学区内のスポーツ活動んトコには入部させず

みんな営利団体で親のお世話を要求しないことを

させてますね。。。

 

 

ワタシの時代と今を比較すると、

小学校時代、道端や校庭で運動靴にドッチボールで

サッカーしてた子や、

ゴムマリにビニールテープをグルグル巻きにした

プラバットで野球してた子が、

中学生になり、部活動でサッカーに野球を始める子って

それなりに居たです。

野球は習ってた子の比率が多少高かったかな?

やけど中学なってから部活動で本格的に取り組む子

って一定数いましたが、

今はサッカーも野球も、ほぼ経験者ばっかり。

ウチのにいにいは中学から野球始めたですが、

同学年12人中、初心者はにいにい含めて3人。

あとはみんな小学校の時からどこかのチームで

プレイしてた子ばっかり。

サッカーも概ねそんな感じみたい。

校区の中学サッカー部は、色々あるみたいで

現在コロナ禍を口実に実質の休部状態らしい。

小学校時代にサッカーしてた子達が進級した

別学区のサッカー部、

そのクラブチームの子がメインらしい。

(先輩・後輩を含め)

中には小学校途中でクラブチームを辞めた子が

中学校の部活で復帰したみたいやし。

でも、未経験者はいないみたいです。

 

 

「貧困」ってコトバのイメージとはかけ離れますが

この話題、ニッポンならではの【貧困の定義】

一定の収入がないとサッカーや野球に触れる事出来ない

『精神的な貧困』

これは確実に存在するように思えます。

 

 

スポーツもお金がなければ体験すら出来ない時代?

色々な事情がありますが、経済的な困窮もそう。

 

それとね、昨今のスポーツ界で良く耳にする

【楽しむ】ってことの定義。

習い事に組み込まれた中で【楽しむ】って

なんか難しい気がします。

 

それはワタシの実体験としてもそう。

物心ついた時にはすでに水泳は始めており、

ちょっとイキった?エラソーな?書き方しますが、

一定の才能はあったのかと。

小学校入学してすぐくらいには

同じ地域で一緒にバス乗って行ってた複数人から

ワタシだけがスクール生から準選手コースに編入させられ

小学校2年生の夏から選手コースに。

そっからは毎日の練習に嫌々参加し、

当時は土曜日も午前だけ学校あった時代でしたが、

近畿圏内の多少遠方で試合があれば学校休んで参加したり、

日曜日はほぼどこかで試合。

 

自己記録を更新した『瞬間』は【楽しむ】こと

してたかもですか、あくまで『瞬間』

総じて思い返すと【楽しかった】と感じたこと

その記憶はないですね。

習い事なので「やらされてる」想いに

支配されてるみたいな。

 

そう想うと、ウチのにいにいも

サッカーは【楽しんでなかった】

ワタシの期待が大き過ぎてよう怒ったですし、

それがプレッシャーに常々なっていたと。

それと「習い事」が入口ゆーのもあるかもです。

 

だから小学6年生の結構早い時期から

『中学ではサッカーはしない』

『中学からは野球がしたい』と

ハッキリと意思表示していましたね。

 

『なんで野球?』となったのかというと、

ワタシの所属する草野球に、

年に数回あるサッカーの休みと

草野球練習が被った時は連れてって、

大人と一緒に笑いながら

また熱心に指導受けながら

ボール投げたり、ノック受けたり。

ミニゲーム形式でヒット撃った時の

【楽しさ】が強くインプットされてた様。

 

そんな【楽しさ】を抱いて始めた野球。

先入観?いや昔からですね。

野球してる子ってヤンチャな子が多く、

中学の部活もご多分に漏れずですが、

顧問の先生がシッカリと抑止してる様子で

日々部活動を楽しんで参加しており

今まで一度も練習を休んだことありません。

 

練習試合でちょこっと出場させてもらう程度で

公式戦には出場できるレベルに到達しないので

公式戦は3塁ベースコーチ専任らしいですが

【楽しい】オーラーが湧き出ています。

今は少し「試合に出場したい」欲もチラホラ。

 

とにかく【楽しんで】野球をしています。

 

 

現代日本社会の超・フクザツな部分。

 

この辺りも【ガラパゴス】なのかも知れないですね。

 

ニッポンってお国事情は。