大阪からマリーンズを応援し、地元でセレッソを応援するおっさんのブログ

NPBはMarines、JリーグはCerezoを応援する、おっさんのブログ。娯楽もちょこちょこ書いてみます

《マリーンズ》まだコトバが…

ワタシが『マリーンズのエース』

という立場を語るにおいての

ハードル

世間目線から高いのは

村田兆治

その投手が基準だから。

 

自身が明確にオリオンズを応援

してる記憶があるのは

41,42年前の山内一弘監督時代から。

そこからのワタシの

オリオンズ→マリーンズと繋がる

歴史上のエースは

村田兆治黒木知宏の二人だけ。

 

小宮山悟清水直行成瀬善久

その域に達しておらず

涌井秀章に石川歩はまだその後ろ。

 

今でいうトミー・ジョン手術

当時はなんて言ってたかな?

ベタに再腱手術ゆーてたかな?

フランク・ジョーブ博士の執刀で

その時代にメジャーでも数件の

事例がある程度。

 

残念ながら手術前のピッチングの

記憶はないですが、

復活した年の『サンデー兆治』の記憶

それは鮮明に残ってます。

 

現在の野球会で絶滅寸前の

ワインドアップ。

それも腕を頭上高くピンと伸ばし

大きく振りかぶり

左足を高く上げ軸足に体重を乗せ

蹴り出した際にそのパワーを

右腕から指先に乗せるそのフォーム

マサカリ投法』から放たれる

ストレートに

今、あんな軌道で投げれるのは、

千賀投手くらいかな?

打者の手元でストンと落ちる

切れ味と落差のフォークボール

 

なんでもあの当時って

ほぼほぼノーサインだったらしく

それ受けてた袴田英利捕手って

凄かったんやなって

 

 

当時たまにしかない野球中継

頼りはNHKほぼ一択。

大半は

サンデースポーツプロ野球ニュース

はしごして、その姿を見つめていました。

 

術後に発刊された確か奥様の著書

2冊だったかな?親に買ってもらって

読みましたし、

200勝達成時の新聞一面の写真、

新聞社がパネルにして販売あったのも

買って飾っていましたし、

高校時代に「尊敬する人」ってお題の

宿題でも『村田兆治』のこと

書いた記憶が蘇りました。

 

 

ワタシの中の大エース

村田兆治さんが…

 

ちょっと前に空港で騒動起こしたり

とか

少しメンタルに異変があったのかな?

 

報じられていること、ある程度の

取捨選択をしたとしても、、、

 

あの大エースが…

 

まだコトバが見当たりません

 

虚しいです。